書き散らす

http://plusd.itmedia.co.jp/games/articles/0903/02/news041.html

最近、電車とかでDSやってる人の半分くらいは(言いすぎか?でも3人に1人はそんな感じだと思う)microSD刺さったDSソフトでゲームやってるんだよね。それはもうカジュアルに何の問題も無いかのように。やっと判決も出たし取り締まりも進んできてはいるけど何か手遅れの様な気もするよなー。

どうしてもそういう人を見ると「死んだらええのに」と呪詛を吐いてしまう俺です、どうもこんばんは。

いやホント、こういう現状ってなんだか空恐ろしいものを感じませんか。何で親が普通に買い与えてんのかな。何で普通に会社でコレお勧めとか言って広まっていくんかな。これがあると新作のゲームとかがタダで遊べるんだよー、だって。罪の意識ってまったくないんかな。ゲームソフトが売れなくなって業界が衰退してソフトが出なくなっちゃっても別にただの暇つぶしだからいいんかな。ゲーム出なくなったら他の暇つぶしに群れるだけなんかな。そんなこともわからんでゲーム好きとか名乗って使ってる奴等って何考えてんだろうね。マゾなんかな?破滅思想?あー、胸糞悪い。

そもそもわからんのが俺は好きな事にはお金を落とすのは当然だと思ってきたんですよ。創造者に対して対価を納めんで何の趣味か、と。それってやっぱり唯一ではないけど一番手っ取り早い応援方法だと思うんだよね。やっぱり資本主義なんである程度応援されない方々は埋もれていくし消えていく訳で。そういう残念な思いを散々してきたからこういう思想が身体に染み付いているんだとは思いますが。
だから俺はゲームにしろ音楽にしろ手に入れるという事に結構こだわっている気がするんだよな。中古って基本的にもう手に入らない、って時以外には使いたくないしレンタルも好きじゃない。何か愛着が沸かないんだよ。なんつうのかな、気持ちがキャパオーバーになるっていうか。そうやって手に入れたものに対して愛でてたら他のものを愛でる力は割けないっていうかさ。まあその辺は人それぞれなのかも知れないけど、それが健全なんじゃないかなぁ、と思うんだよね。
それとは別に今の自分に手が届くか、ってのはあって。手が届かないものは分相応だと納得するなり、何かを諦めて代わりに手に入れるとかいろいろ試行錯誤するべきだと思うんすよ。身の丈にあって無くてもとりあえず、なんつって最短ルートで手に入れてもさ、何か空しくね?って思ってみたり。マジコン使ってる奴等ってそういう事じゃん、って思う。対価を払うに値しないと思ってんだったら指くわえて我慢してろよ、っていう。

何か取り留めないですけどそんなことをつらつらと思ったりしたのでした。